出荷データの定点分析
今回も引き続き押し込み販売について書きます。
前回紹介した事例では、子会社の上層部が部下に押し込みを指示し、疲弊した若手から内部告発があったというものでした。
今回は子会社の経営陣が自ら有力得意先に仕入れのお願いをしていた例です。
今回の事例では、発見のきっかけは、監査部による出荷データの分析です。
監査部では、全子会社の出荷データを定期的にウォッチングしており、期末の最終月にいきなり売上額が増えた場合には、内容の確認を行います。
私も若いころ営業の仕事をしていた時期があります。
当時はまだコンプライアンスが甘い時代で、期末最終月の売上は通常月の2倍なんていうことはざらでした。
端的に言えば、お得意先に、情に訴えて、余分の仕入れをお願いするのです。
そして、翌期の初月には返品の山を受け取ったりするので、個人的には大変無駄な空しい作業です。
勿論、やりたくてやっていた訳ではなく、上司の命令でやむを得なかったんです。
この子会社をD社としますが、このときのD社の最終月の売上がまさにそんな感じでした。
数字を見た瞬間、営業マンひとりひとりの苦労する顔が目に浮かんだように思います。
既存大手と酷似した社名の新規得意先
そこで、D社のデータのドリルダウン(詳細分析)にとりかかりました。
得意先別、営業マン別、商品別などのブレークダウンを行い、どこに問題があるかを探ります。
そうしたところ、
- 最終月の売上の半分近くをひとつの得意先への出荷が占めている
- その得意先のマスターデータは当月にセットアップされたばかり
であったこと、がわかりました。
締めの月にたまたま新規の得意先と契約をし、大口の出荷が発生することだって、絶対ないとは言い切れません。
ですが、単月とはいえ、会社全体の売上の半分を新規得意先が占める、なんていうのは聞いたことがなく、ひっかかります。
更に不思議だったのは、その新規の得意先の会社名が、D社の既存得意先の最大手とほぼ同じだったことです。(既存大手が「株式会社〇×▲」で、新規が「〇×▲社」みたいな感じでした。)
経営報告資料から見えた意外な状況
次に、D社が本社の担当役員に対して毎月行っている経営報告の資料を見てみることとしました。
この新規の得意先について何らかの記述がないかを見るためです。
生憎とその記載は見つからなかったのですが、代わりに前期末のとても興味深い状況がわかりました。
まず、D社は期末の3か月前に、担当役員に対し、年間の売上目標を達成できる見込だと報告していました。
しかし、それまでの売上状況がとても悪かった為、逆に役員の方から、もっと現実的な見込に下方修正するよう指示されていたんです。
この指示は、D社にとって、ある意味、温情的なものです。
何故なら、上位者は、下位者が目標未達だと、自分自身の成績が下がってしまう為、下位者に対して、状況なんかお構いなしに、何としても計画を達成せよとプレッシャーをかける方が普通だからです。
D社は、この指示を受け、翌月つまり締めの2か月前の経営報告では年間見込を引き下げたんですが、最終実績はその下方修正した見込とぴったり一致していたのです。
ここで大体のストーリーが読めたように思いました。次のようなものです。
期末の3か月前、D社は、業績が厳しいにもかかわらず、期末までには何とかなるだろうと甘い読みをし、年間計画を達成できるとの見込を担当役員に報告しました。
ところが、現状を考えると、その見込には信憑性が感じられないということで、役員の方から下方修正を命じられた。
これは、上述のとおり、D社の立場からすると大変助かる訳ですが、一方、この温情に報いる為に、下方修正した数字は、何が何でも達成しないとならないという気持ちになるのは、想像に難くありません。
ところが1か月経っても2か月経っても売上は好転しない。
それどころか更に悪化を続け、遂に最終月になってしまう。
他に手立てがなくなったD社は、資金力のある大手の得意先に何らかの見返りを約束することで、不足分を仕入れてもらうことにした、という訳です。
“何らかの見返り”というのは、例えば販売奨励金等といった名目でキャッシュバックをしたりすることです。
どうも経営陣自らが、この得意先の本社を訪ね、相手先の社長に要請を行ったようです。
D社の社長、営業部長、管理部長等のヒアリングを通じ、この推測が正しかったことがわかりました。
商品はD社が借りた外部倉庫に
そして、得意先の倉庫に大量の不要な商品を出荷するのを避ける為、この分の商品は、D社が契約した外部倉庫に出荷することとしました。
わざわざ得意先マスターに新規得意先を追加したのは、システム内に、この外部倉庫と紐づいた新規の得意先マスターを持つ必要があった為だったそうです。
外部倉庫を借りる費用をD社が負担していたということもわかり、D社としては言い逃れが出来ない状況でした。
結果ですが、D社の社長は依願退職、営業部長は降格および別の子会社へ異動、管理部長は関与度合いが限定的だったことから異動のみということになりました。
会社のトップ3が揃っていきなりいなくなってしまったD社。
その後の残りの社員の苦労が偲ばれたのを覚えています。