半年間のホームステイ
今から30年以上前になりますが、フランスで半年間のホームステイ生活をしたことがあります。
普通のフランス人の家庭や生活に興味をお持ちの方もいるかと思いますので、今日はそれについて書いてみたいと思います。
場所は、パリから南に300キロほど離れた「ビシー」(”Vichy”)という人口4万人ほどの小さな市です。
温泉保養地として知られている他、第二次大戦中にはドイツの傀儡(かいらい)政権があった場所としても有名です。
この町に外国人向けの有名なフランス語学校があり、そこに通うことになりました。
学校には寮がない為、学生の多くは、格安ホテルか、一般住民の家にホームステイをします。
学生が支払うホームステイ費は、住民にとっても結構な副収入になっていたのではないかと思われ、複数の学生を受け入れる家も少なくなかったようです。
私がお世話になった家も、私がいた半年ほどの間に、多い時では私を入れて4人の学生を同時に受け入れていました。
ただ私費で来ている学生の多くは、1カ月とかせいぜい2カ月くらいの短期滞在なので、半年もの間住んでいたのは私だけでしたが。
家族構成は、50代とおぼしきご夫婦と大学生の娘さんの3人です。
その他に息子がいましたが、この人は既に結婚して近所に別に世帯を構えており、月に数回程度、お嫁さんと2歳くらいの赤ちゃんを連れて夕食を食べにくるという感じでした。
初日の出来事
日本からフランスに到着した日はパリに宿泊し、翌日の昼頃、電車でビシーに向かいました。
駅では、ホームステイ先のご主人が、私の名前を書いた紙を手に持って迎えに来てくれていて、車で5分程の家まで連れて行ってくれました。
駐在の内示を受けてから数週間経っており、初級の文法書を購入してフランス語の勉強を始めていたものの、その程度では全く役に立つわけもなく、車の中で話しかけられても愛想笑いを返すことしかできませんでした。
何度も「ショー」と言っているのは聞き取れたんですが、後になって多少言葉がわかるようになってから、恐らく、「暑いね」(Il fait chaud.)と言っていたのだとわかりました。
家では奥さんが待っていてくれて、ご主人はどうも仕事を抜けてきてくれたらしく、私を家の前でおろしたら、そのまま行ってしまった為、今度は奥さんと二人きりです。
居間のソファに腰かけて、小柄で恰幅のいい奥さんから、15分くらい手振り身振りを交えながら色々話しかけられましたが、例によって言っていることがほぼわからない為、この時間、とても長く感じたものです。
その後、私に割り当てられた3階の寝室に連れて行ってくれたのですが、その途中で歩き始めたばかりといった様子の赤ちゃんに出会いました。
おそらく孫だろうと思い、たまたま覚えていた男の孫を意味する”petit-fils(プティフィス)”という単語を、ダメ元で口に出してみたところ、とても喜んでくれて、ただ”petite-fille(プティットフィーユ、女の孫)”だと言いなおされました。
本当を言うと、実際は女の子だったのに、私がてっきり男の子だと見間違えたのですが、性別の表現を間違えたと思ってくれたようです。
さて、寝室に落ち着き、荷物を片づけたり、翌日から通う学校の場所を地図で確認したりしているうちに、日も暮れ始め、段々と空腹になってきました。
ホームステイ先では朝食と夕食を出してくれると案内を受けていたので、用意が出来たら知らせてくれるだろうと思いはしたものの、窓の外が真っ暗になっても、音沙汰がありません。
8時を過ぎて、ひょっとしたら、自分がいることを忘れてしまって、家族だけで食べてしまっているのではないかと危ぶみ始めた頃になって、ようやく階下から私の名前を呼ぶ声が聞こえました。
あとになってわかったのですが、フランスでは全般に食事時間が日本より遅く、8時過ぎというのは珍しくないようです。
この日の食事の内容は忘れましたが、こうして何とか初日の夜はふけていきました。
毎日の食事
2日目以降、習慣の違いにも急速に慣れはじめ、また、毎日学校でフランス語を習うにつれ、コミュニケーションも少しづつとれるようになってきて、生活はどんどん快適になっていきました。
家族と接するのは、朝食と夕食の時間が中心です。
朝食は、いわゆる”コンチネンタルブレックファスト”で、フランスパンとカフェオレだけです。
卵もベーコンも野菜も果物も、何もつきません。
最初は少々物足りない気もしましたが、パンもカフェオレもバターやジャムもとても美味しく、半年間ほぼ毎日同じものを食べ続けても最後まで飽きることはありませんでした。
私は確か朝7時くらいから食べていたと思いますが、その時間、ご主人は既に出かけていて、奥さんと娘さんと食べることが多かったです。
席に着くと、奥さんが、決まってゆっくりとした口調で”Avez-vous bien dormi?”(よく眠れましたか?)と尋ねてくれたのが懐かしいです。
大学生の娘さんは、顔は可愛らしいし、性格も悪くないのがあとで段々とわかってきましたが、いわゆるツンデレとでも言うのか、最初はややぶっきらぼうな感じ。
あまりこっちも見ないし、興味もなさそうな様子でした。
徐々に打ち解けてきてからは仲良しになりましたが。
夜は、ご主人も一緒に食卓を囲みます。
食事は、サラダORスープではじまり、次にメインディッシュ、最後がチーズで、フレンチレストランのようにひとつづつ順番にサーブされます。
メインディッシュは大体が肉で、牛・豚・チキンに加え、羊もよく出てきました。
特に、子羊肉のことは”agneau”(アニョー)といって、フランス人は大好きなようです。
金曜日にはたまに魚料理が出ました。
魚は、必ず白身魚で、バタークリーム料理一択でしたね。
金曜に魚を食べるのは、宗教的な理由のようです。
フランスに行くまで知らなかったのですが、フランス人は80%がカトリックなんです。
たまに困ったのはパスタのときで、サラダorスープとパスタの2品で終わるときと、その後にメインが出てくるときがあり、それがパスタを食べ終わるまでわからないことです。
パスタで終わるときはパスタをしっかり食べておかないと後でおなかがすくし、そのあとにメインがあるときは、パスタを加減して食べないとなりません。
それから、日本人なのでお米が恋しいんですが、基本的に米は出てきません。
一回だけ出てきたことがありますが、それはサラダとしてで、タイ米のような細い米をゆでたのにドレッシングがかけられたものが目の前に置かれてびっくりしました。
メインが終わると、冷蔵庫から各種のチーズを盛り合わせた大皿が出されます。
奥さんと娘さんはあまり手を付けていませんでしたが、ご主人は2種類くらいを取り分けてパンに載せてワインと一緒に食べていました。
私は酒飲みだし、ブルーチーズをはじめ匂いの強いチーズも好きだったので、いつも喜んでご相伴させていただいていました。
ご主人は毎晩赤ワインを嗜み、私にもついでくれるので、この家にホームステイ出来てよかったなと思ったものですが、ご主人自身はグラスに半分ほど注いだあと、水を足して飲んでいたのが印象的でした。
聞いたことはありませんが、恐らく健康を考えてのことだったんじゃないでしょうか。
食事が全て終わると、ご夫婦で仲良く一緒に食器を洗っていたのを覚えています。
家屋
家は、映画などで見るフランスの街並みによく出てくる古い石造りの建物でした。
地上3階+地下1階建てで、1階に居間・応接間・台所・食堂が、2階に夫婦と娘の寝室、3階に寝室が3つ、地下には寝室が1つ、洗濯やアイロン用の部屋、それと食料貯蔵室のようなものがありました。
3階と地下の寝室に、私のような学生を住まわせていた訳です。
また3階にはシャワーブースがありました。
床は、寝室を除きフローリングで、欧米の家屋の一般として勿論屋内でも靴履きですが、雨の日は、2階より上にいくときは靴を脱ぐルールになっていました。
初日にそれについて注意を受けたようなのですが、何しろ言葉がわからず、身振り手振りでの説明だったので、きちんと理解出来ておらず、ある雨の日に濡れた靴のまま自室に向かおうとして、奥さんに叱られたのを覚えています。
地下室にはほとんど行きませんでしたが、あるとき奥さんに見せたいものがあると言われ、貯蔵室をのぞくと、皮をはいだ子羊が丸ごとぶら下げられていて驚きました。
何でも定期的に近郊の農家から丸ごと買って、少しづつ食べるとのこと。
文化の違いを感じました。
私の寝室は日本式に言えば10畳ほどもあったでしょうか。
ベッドもクイーンサイズで、箪笥と勉強机が置かれています。
フランスに行く前は、国内の地方都市で四畳半の社員寮に暮らしていたのですが、それに比べて格段に上等の部屋でした。
3階ということもあり、いつもとても静かで、勉強にも適した環境でした。
シャワーしかないので湯船につかれないことと、トイレは2階におりていかないとならないことが、わずかな不便でした。
トイレと言えば、古い家屋で音が響くせいか、夜中は水を流すのが禁止されていたので、夜分のトイレは出来るだけ我慢したのが何とも情けなかったです。
娘さんの部屋への無断侵入と、”めぞん一刻”
最後に、ホームステイ中に経験した記憶に残る2つの出来事をご紹介します。
ある週末、学校で知り合った、他の企業から派遣された日本人の友達数名と飲みに行き、帰宅したのは恐らく夜中の1時を回っていたと思います。
鍵は預かっていたし、門限なんかもなかったんですよね。
結構酔っぱらっていて、電気の消えた暗い中、きしむ階段をゆっくりあがって行ったんですが、2階にあがったところで自分の部屋に到着したと勘違いし、娘さんの部屋のドアを開けてしまったんです。
ドアのあく音で、眠っていた娘さんが目を覚まし、闖入者である私に驚きます。
ベッドの上に上半身を起こして、映画やドラマなんかによくある感じで咄嗟に胸のあたりを毛布で隠す様子が妙に色っぽく見えたように思います。
瞬間、私も状況を理解し、”Désolé!”(ごめんなさい!)と叫んで、ドアを閉めて部屋を後にしました。
翌朝、彼女が起きてくる前に食卓に着き、奥さんに向かって前の晩の失敗について話しました。
年頃の娘さんの部屋に無断侵入してしまったので、怒られるか、少なくとも嫌な顔をされるかと思いましたが、大笑いしてたのでホッとしました。
そのすぐあとに娘さんが食堂にやってきて、見ると、居間の暖炉からとってきた火かき棒をふりかぶっていたんですが、顔は笑いを我慢している様子で、謝ったらすぐに許してくれました。
この頃には、奥さんも娘さんも、私が相当な酒飲みであることをわかってくれていて、酒の上の過ちとして大目に見てくれたんだと思います。
もうひとつの出来事は、それからしばらくしたある日の午後のことです。
授業が終わって帰宅したところ、居間のテレビの前で、奥さんと娘さんが何やら議論、というか言い争いをしています。
テレビでは、数年前に日本で放映されていた「めぞん一刻」が流れています。
今もですが当時も日本のアニメはフランスで人気があり、「めぞん一刻」は”Juliette je t’aime”(愛しのジュリエット)という題名に変えられて(そうです、主人公の音無響子さんがジュリエットという名前になってるんです)放送されていました。
ふたりは私に気づくと、気色ばんで、「登場人物は日本人なのに、なぜ西洋人の顔に描かれているのか?」と聞いてきました。
目の大きさが、どう見ても、日本人よりは西洋人に見えるということでした。
これに対し、奥さんは「最初から欧米に輸出することを想定して作られている為」、娘さんは「日本人は西洋人の大きな目に憧れているから」と意見が割れていて、熱い議論に発展したようです。
正解は「めぞん一刻」の作者である高橋留美子さんや発行元の小学館にしかわかりませんが、恐らく後者の方が当たってそうですよね。
ですので、そのように答えましたが、日本人として自分達の容貌を否定しているような気にもなり、ちょっと複雑な気分でした。
と同時に、欧米の人が日本のアニメを見て感じることの一端が垣間見えて興味深かったです。
さてだいぶ長くなったので、今日はこんなところにしておきます。
ホームステイ時のあれやこれやを書いてみました。
ご興味お持ちいただけたら幸いです。
今後は、通っていた学校や住んでいた街の雰囲気、旅行で訪れたフランスの色々な場所、などについても書いてみようと思います。